『シティコネクション』カラフルな車が世界を跳ねる、謎の浮遊ドライブ

タイトル シティコネクション
発売日 1985年9月27日
発売元 ジャレコ
当時の定価 4,900円
ジャンル アクション

あのカラフルな車が、なぜか世界中の街を飛び跳ねて走っていた。信号を無視して、警官に追われて、屋根の上を滑るように走り抜ける。何をしているのか、当時の子供にはさっぱりわからなかった。ただ、あの独特の浮遊感と、色が変わる街の風景が、なぜか頭から離れなかったゲームがある。そう、あの車はクラリオンだったのだ。

ジャレコの背水の陣と「ペンキ」の核心

あの独特の浮遊感、車がジャンプするたびに少しだけ宙に浮いて、妙にリアルな重量感を感じたものだ。だが、このゲームが生まれた背景には、当時のジャレコというメーカーならではの、ある種の「背水の陣」が隠されていた。1985年といえば、ファミコンが市場を席巻し始めた時期である。多くのメーカーがこぞって参入する中、ジャレコは『ロードランナー』の移植で一定の評価を得ていたが、まだ自社の看板となるようなオリジナルIPを強く求めていた。そこで目をつけたのが、アメリカのアーケードゲーム『City Connection』の権利だった。当時、日本市場向けに海外ゲームの権利を購入し、自社ブランドでリリースする手法は珍しくなかった。しかし、ジャレコは単なる移植には留まらなかった。オリジナルのゲームデザインを大胆にアレンジし、あの「ペンキで道路を塗る」という核心的なゲームプレイに磨きをかけたのである。背景の国名表示やクラシック音楽のBGMなど、教育的で上品な雰囲気は、子供向けでありながらどこか大人びたジャレコの美学そのものだった。これは単なる権利物の移植ではなく、自社の色を強く打ち出し、ファミコン市場における存在感を高めるための布石だったのだ。

破壊も戦術、制約が生んだパズルアクション

あのカラフルな車がジャンプするたびに、なぜか無性にクラクションを鳴らしたくなったものだ。シティコネクションの面白さは、一見単純な「車を飛ばして障害物を避ける」という行為の中に、驚くほど深い戦略性と駆け引きが潜んでいる点にある。プレイヤーはただ跳ね回っているわけではない。パネルを塗りつぶすという目的のために、敵の動きを読み、弾を撃ち、時には意図的に車を破壊させてリスポーン地点を利用する。この「破壊も戦術のうち」という発想が、当時のゲームにはあまりない自由さを生み出していた。

その創造性は、ある意味で厳しい制約から生まれている。画面は単一でスクロールせず、車の動きも直線的だ。しかし、その制約こそが、プレイヤーに「この限られた空間をどう支配するか」というパズル的な思考を強いた。次の階層へのパイプはどこか、赤い敵を避けつつ青い敵から弾を奪うにはどう動くか。右手の親指がAボタン(ジャンプ)とBボタン(クラクション/弾)を行き来する忙しさが、逆に没入感を高めていた。単純な操作の組み合わせが、予想外に複雑で熱い戦場を作り上げていたのである。

塗りつぶしが遺した「エリア支配」の系譜

そういえば、あの色を塗るだけの単純なゲームに、なぜか夢中になった記憶がある。あの独特の浮遊感と、車を乗り換えるだけのシンプルなシステムは、当時は「変わったゲーム」という印象だったが、実はその後のゲームデザインに、静かながら確かな足跡を残しているのだ。

最大の影響は、ステージ内を自由に探索する「オープンワールド」的な構造と、特定のアイテム(ここではペンキ)を用いてエリアを「塗りつぶす」というゲームプレイの原型を提示した点にある。この「塗りつぶし」という概念は、後に『パックマン』の迷路制圧とは異なる、より広範な「エリア支配」の楽しさとして昇華されていく。最も直接的な系譜は、言うまでもなく『スーパーマリオサンシャイン』の「汚れを掃除する」アクションだろう。あのF.L.U.D.D.を使った噴射の根本には、『シティコネクション』のペンキ缶が塗り広げた地盤が確実に存在している。

さらに、車を乗り換えることで状況が一変する「乗り物チェンジ」システムは、後の『グランド・セフト・オート』シリーズをはじめとするオープンワールド・ドライビングゲームの、最も原始的な歓びを先取りしていたと言える。目的は単純だが、手段である「車」の選択に自由があった。この小さな自由の積み重ねが、後の巨大な自由への礎となったのである。

GAMEXスコア

キャラクタ 音楽 操作性 ハマり度 オリジナル度 総合
78/100 95/100 72/100 85/100 90/100 84/100

そうそう、あのジャンプの気持ち悪さがあったんだよ。シティコネクションの操作性が72点というのは、ある意味で核心を突いている。車が妙に浮くあの感覚は、最初は確かに違和感でしかなかった。しかし、一度そのリズムを掴んでしまえば、これほどまでに没入できる操作感もない。むしろ、この「気持ち悪さ」こそがゲームの個性を形作っているのだ。音楽が95点というのは当然の評価だろう。街の色が変わるたびに流れるあの旋律は、プレイヤーを別世界へと連れ去ってくれる。キャラクタ78点、オリジナル度90点という点数の対比も興味深い。確かにグラフィックは単純だが、色が変わる街全体がキャラクターであり、それが他にない体験を生み出していた。操作性の低さを補って余りある魅力が、ここに詰まっているというわけだ。

あの無機質なBGMと、色を塗り替えるだけの単純な作業が、なぜか脳裏から離れない。それはゲームの「本筋」から外れた、自由で無意味な遊びの原形だった。現代のオープンワールドに蔓延る「やってもやらなくてもいいこと」の系譜は、あのジャンプもできないクルマの屋根の上に、確かに始まっているのだ。