『アサシンクリード シャドウズ』をめぐる議論では、歴史の描き方、主人公の設定、多様性という別々の問題が、一つの賛否へまとめられがちだった。だが、ある描写に疑問を持つことと、特定の出自を持つ人物が主人公であることを否定することは同じではない。まず、何を問題にしているのかを分けて考える必要がある。
Ubisoftは2024年7月23日、日本のコミュニティへ向けた説明を公表した。外部の専門家や日本のチームなどと協力してきたことを説明する一方、シリーズは史実をそのまま再現するのではなく、歴史から着想したフィクションであるという立場を示している。
専門家の参加は、全描写の正しさを保証しない
監修や助言が入った作品でも、制作上の選択は残る。どの地域を描き、何を省略し、どこに架空の人物や出来事を置くか。ゲームとして成立させる判断と、資料に忠実な説明が常に一致するとは限らない。
だからこそ、作品の描写へ具体的に疑問を呈することには意味がある。一方、特定の助言者が全ての判断を下したと決めつけたり、個人の出自へ攻撃を向けたりすれば、何が誤っているのかという議論から離れてしまう。制作の責任と、個人への敵意は切り分けなければならない。
DEIという言葉だけでは作品を評価できない
DEIは、多様性、公正性、包摂を示す言葉だ。ただ、ゲームの面白さを測る点数でも、描写の正しさを認定する印でもない。異なる背景の人物が登場しても、その人物が物語のなかで何を考え、どう動くかが描かれなければ、設定だけが目立つことになる。
逆に、多様な人物を描いているという理由だけで、作品を政治的な意図の産物と決めつけることもできない。評価するべきなのは、実際の場面と、その場面が作品全体で果たす役割だろう。賛成か反対かを先に決めると、細部を見る理由が失われる。
売上や延期の理由まで一つに結び付けない
否定的な反応が広がったことから、開発の遅れや会社の業績まで全て説明することはできない。個別の売上、制作費、経営判断については、それぞれの資料が必要になる。本作への論争を、企業の数字が動いた唯一の原因として扱う裏付けはない。
歴史への敬意と、創作の自由をどう両立させるか。その問いには、抽象的なスローガンだけでは答えられない。具体的な表現について批評し、誤りがあれば修正を求め、なお残る解釈の違いを論じる。その手順を省かないことが、作品を擁護する側にも批判する側にも必要だ。
2026年9月5日訂正:未確認のパッチ内容・業績への因果関係・専門家の応対事例を削除し、公式の説明と考察を区別した。
