| タイトル | ドラゴンボールZIII 烈戦人造人間 |
|---|---|
| 発売日 | 1992年8月7日 |
| 発売元 | バンダイ |
| 当時の定価 | 7,500円 |
| ジャンル | RPG |
そういえば、あの頃はまだセルが完全体になる前だった。週刊少年ジャンプをめくりながら、次の展開を待ちきれない気持ちで、ファミコンの電源を入れていたあの感覚を覚えているだろうか。人造人間編がまさに佳境を迎えていた1992年の夏、バンダイから『ドラゴンボールZIII 烈戦人造人間』が発売された。原作がまだセルゲームにすら至っていない、まさに「現在進行形」の物語をゲームで追体験する――そんな、今では考えられないほどの同時進行の熱気が、このカセットには詰まっていた。
鳥山明の未来を先読みした開発陣
そう、あのカードを引く時の緊張感だ。指先に伝わるパッドの感触と、画面に現れる星の数が、次の一手を決める。『ドラゴンボールZIII』は、単なるRPGの枠を超えていた。当時、原作漫画はまさに人造人間編の真っ最中。アニメも追いつこうとしている、まさに「現在進行形」の物語をゲームに落とし込むという、前代未聞の挑戦だったのだ。
原作が追いつかない先を走るゲーム開発
開発チームは、鳥山明の描く未来を先読みする必要に迫られた。雑誌で連載される一話一話を注視し、時には編集部との調整も行いながら、未完成のストーリーをゲームという形で「完成」させなければならない。その結果、本作のエンディングは、ピッコロがセルを逃がしてしまうという、当時の読者にとっては「え、ここで終わり?」という中途半端な地点で幕を閉じることになる。これは未完を承知の上での決断だった。リアルタイムで物語を体験させるというコンセプトを貫くためには、むしろこの「未完了感」こそが、当時の熱気を最も正確に伝える手法だったと言えるだろう。
「3Dバトル」という名の演出革命
戦闘システムの進化も特筆すべき点だ。前作まであったBP(戦闘力)表記が廃止され、よりシンプルかつスピーディな戦いへと移行した。そして何より、「3Dバトル」と称された画面奥行きを感じさせる演出は、当時のファミコンにおける表現力の限界への挑戦だった。必殺技ごとに用意された専用グラフィックが炸裂する瞬間、我々は確かに「気」の奔流を目にした。あの「!」マークが出た瞬間に上ボタンを押す、という間一髪の回避アクションは、単なるコマンド選択を超えた臨場感を生み出し、プレイヤーをアニメの主人公にしたてあげた。
この作品は、メディアミックスのあるべき姿を、ゲームという形で提示してみせた一作である。情報が未完であろうと、それを楽しむ方法はある。カードを引き、仲間を選び、未知のストーリーを自らの手で進めていく。あの頃の我々は、単にゲームをクリアするためではなく、「次の週刊少年ジャンプが届くまでの、熱い時間」そのものをプレイしていたのだ。
高速カードバトルと削られたお助けカード
前作までに培われたカードバトルの骨格はそのままに、今作は戦闘のスピード感が一気に引き上げられた。コントローラーの十字キーをカリカリと鳴らし、次々とカードを選択する手応えは、まるでカードを切るような軽快さだ。しかし、この高速化されたバトルの根底には、明確な制約があった。前作までに存在した多種多様な「お助けカード」が大幅に削減され、戦略の選択肢が絞り込まれたのである。
この制約こそが、本作のゲームデザインの核心を生み出している。頼れるアイテムが少ないからこそ、プレイヤーは手持ちのカードと限られた「必殺技」という資源を如何に運用するかに集中せざるを得ない。流派が一致したカードを選び、気力を消費して放つ必殺技には専用のグラフィックが用意され、それが大きな見返りとなった。一ターン身を挺して「気を練る」という選択肢も、リスクとリターンを天秤にかける緊張感を生み出す。攻撃力が星の数で決まる単純な構造の中に、このような深い意思決定の層を積み重ねた点に、本作の面白さの本質がある。
さらに、この制約は原作の緊迫感を見事に再現していた。人造人間という圧倒的な敵を前に、仙豆すら貴重な資源となる戦い。修行で少しずつ力を蓄え、時には瀕死の状態から「サイヤ人の特性」で這い上がる成長の軌跡は、システムと物語が見事に同期した瞬間だった。限られたリソースの中で最適解を探り続ける過程そのものが、Z戦士たちの苦闘そのものなのである。
未完の人造人間編が残したインタラクティブな遺産
そう、あのカードを引く時の緊張感が忘れられない。『ドラゴンボールZIII』の戦闘は、単なるコマンド選択とは一線を画していた。流派が一致したカードを引いた時の高揚感、練気に賭ける一か八かの判断。これらは後のゲームデザインに、確かな爪痕を残していく。
この作品がなければ、カードを用いたリアルタイム性のある指令システムは、あれほど洗練された形では登場しなかったかもしれない。戦闘の流れを止めずに戦術的選択を迫るその形式は、後の多くのコンバットシステムに「間」の概念をもたらした。例えば、特定の条件で発動する強力な技の概念、いわゆる「QTE」の萌芽を、あの必殺技発動時の独特の緊張感の中に見出す者も少なくない。単なる演出ではなく、プレイヤーのタイミングと判断が結果を分かつ、あのインタラクティブな要素は、後のアクションRPGやバトルシステムの礎の一つとなったのである。
さらに、原作の進行に合わせて未完のまま物語を閉じるという大胆な構成も特筆に値する。当時は「え、ここで終わり?」と不満を感じたプレイヤーも多かっただろう。しかし、これはゲームという媒体が「進行形のメディア」と並走し、独自の完結性を模索する一つの実験であった。未完であることが、逆にプレイヤーの想像力と熱狂を掻き立て、コミュニティを生み出す原動力となった例は、後年の多くの「シリーズもの」や「継続コンテンツ」を見れば明らかだ。『ドラゴンボールZIII』は、ゲームが単なる原作の下請けではなく、ひとつの「体験」としてどうあるべきかを、カードという触媒を通して鮮烈に提示した作品なのである。
GAMEXスコア
| キャラクタ | 音楽 | 操作性 | ハマり度 | オリジナル度 | 総合 |
|---|---|---|---|---|---|
| 92/100 | 78/100 | 85/100 | 90/100 | 88/100 | 87/100 |
キャラクタの92点という高評価は、原作の熱戦をそのまま映し出した演出が光る。必殺技の再現度は群を抜いており、気功波を撃つ時のコントローラーの振動が臨場感を倍加させた。一方、音楽の78点はやや物足りなさを感じさせる数値だ。戦闘の熱気を盛り上げるには力強さが欠け、BGMがやや地味に映ったのかもしれない。しかし操作性85点、ハマり度90点と、戦略性と没入感のバランスは見事に取れている。キャラクター同士の駆け引きが生む手応えが、この数字に表れていると言えるだろう。
あの頃の熱量は、今も確かに続いている。キャラ育成という概念は、この作品が我々に植え付けた一つの「型」だ。現代のRPGが当たり前にする成長と選択の楽しみは、遥か昔、人造人間との戦いの中で既に芽吹いていたのである。
