| タイトル | 妖怪道中記 |
|---|---|
| 発売日 | 1988年7月15日 |
| 発売元 | ナムコ |
| 当時の定価 | 5,300円 |
| ジャンル | アクション |
そういえば、あのゲーム、主人公が地獄に落ちてたよな。悪さばかりしていたいたずら小僧が、神様の怒りを買って、生きながら地獄行き。ファミコンの画面には、着物姿の少年が、妖怪だらけの不気味な道を右へ左へと歩いていく。あの独特の雰囲気は、他のどんなゲームにもなかった。画面の半分近くを占める大きなメーター、どこか浮世絵を思わせる背景、そして何より、あの「気合い弾」を溜める時の、じわじわと高まっていく緊張感。あのゲームの名前は『妖怪道中記』だ。
地獄巡りは「気合い弾」の息切れから始まった
そう、あの地獄の旅路だ。画面の半分を占める異様なメーター、そして何より、あのワンパク坊主が繰り出す「気合い弾」の溜めすぎによる息切れ。プレイヤーを思わず笑わせ、そして焦らせるこの仕掛けは、当時のナムコがアクションゲームに求めていた「遊び心」の極致だった。
『妖怪道中記』がアーケードに登場した1987年は、ゲームの「物語性」が急速に重んじられ始めた転換期でもある。前年に『イシターの復活』でスコアを排除し、冒険そのものを前面に押し出したナムコは、今度は日本の民話や地獄絵巻という、誰もがどこかで触れたことのある文化的土壌に着目した。開発チームは、単なる横スクロールアクションの枠を超え、プレイヤーを「絵巻物の世界を歩く巡礼者」に仕立て上げようとしたのだ。道中の「よろず屋」や「サイコロ道場」、さらには浦島太郎のパロディまで登場する仕掛けは、ゲーム進行を単調にさせないための、当時としては非常に贅沢な演出だった。
そして何より挑戦的だったのは、そのエンディングシステムだろう。最終ステージでは敵を倒さず、金にも手を出さないという「戒律」を守ることが、より良い結末への鍵となる。これは、当時のゲームが「敵を倒して進む」という単純な快楽を追求する傾向にあった中で、「殺生をしない」という逆転の発想をプレイヤーに強いる、ある種の倫理的な問いかけでもあった。ゲームクリアが「天界」「人間界」「畜生界」といった六道の輪廻として表現される仕組みは、単なるゲームオーバーではなく、プレイヤーの行いが「来世」を決定するという、深い物語性を生み出している。この一風変わった地獄巡りは、後のゲームにおける「マルチエンディング」や「プレイヤーの選択が結末を分かつ」というシステムの、ひとつの先駆的な実験であったと言えるだろう。
スコアを捨てたナムコの「絵巻物アクション」
そういえば、あのゲームでは十字キーを下に押しっぱなしにすると、たろすけがうんうん唸りながら気合いを溜めていたな。あの独特の操作感こそが、『妖怪道中記』の面白さの核心だった。ただ押すだけのショットではなく、溜めすぎれば息切れで動けなくなるというリスクを背負いながら、最適なタイミングで「気合い弾」を放つ。この一見シンプルな制約が、プレイヤーに緊張感と駆け引きを強いた。画面の半分近くを占めるメーター類が、体力と所持金という二つの資源管理を常に意識させ、地獄巡りという非日常的な舞台に、きわめて現実的なサバイバル感覚を植え付けたのだ。
このゲームの創造性は、スコアを完全に排除したところから生まれている。金を集める目的は、よろず屋で回復やアイテムを買うため、あるいは亀を助けるためといった、ストーリー進行のための「実利」に直結していた。プレイヤーは高得点を目指すのではなく、限られた体力と資金で、次々と立ちはだかる難関をどう切り抜けるかという戦略そのものを楽しむことになる。ステージ5で「不殺生戒」「不偸盗戒」を守るという、一見ゲーム的には不利益な行動が、実は最良のエンディングへの近道だったという仕掛けも、この思想の延長線上にある。ナムコは『妖怪道中記』において、アクションゲームの目的を「クリアすること」そのものに純化させ、その過程にこそ深い遊びを埋め込むことに成功したのである。
不殺生戒が生んだ物語分岐の先駆け
そういえば、あのゲームのエンディング、友達の家で初めて「天界」を見たときは、まるで自分が成仏したような気分になったものだ。『妖怪道中記』がなければ、後のゲームはもっと単調なものになっていたかもしれない。この作品が切り拓いた道は、思った以上に広い。
まず挙げるべきは、あの「不殺生戒」と「不偸盗戒」のシステムだろう。最終ステージで敵を倒さず、金も取らずに進むというあの仕組みは、単なる難易度設定ではなく、プレイヤーの行動そのものが物語の結末を分けるという、極めて物語的な選択肢だった。これは後の「善行値」や「カルマ」といった、プレイヤーの倫理観がゲーム世界に反映されるシステムの、紛れもない先駆けである。『ファイナルファンタジー』シリーズなどで見られる隠し要素や分岐エンディングの概念にも、このゲームの思想は確実に流れ込んでいる。
そして、あの「よろず屋」や「サイコロ道場」といった、メインのアクションとは一線を画した「寄り道要素」の豊富さも特筆に値する。ゲームの進行を一旦止め、別の楽しみに没頭できる場を提供したことは、後のアクションRPGやオープンワールドゲームにおける「サブクエスト」や「ミニゲーム」の隆盛を予感させるものだった。単にステージをクリアするだけではない、世界の中で「遊ぶ」という感覚を、このゲームは早くから提示していたのだ。
現代から振り返れば、『妖怪道中記』は「横スクロールアクション」というジャンルの枠に収まりきらない、実験的で豊かなゲーム体験の塊であった。地獄巡りというシチュエーション、絵巻物のような画面構成、そして何よりプレイヤーの選択が結末を変えるという思想。これらは全て、ゲームが単なる反射神経の競い合いから、一つの「物語を体験する装置」へと変貌していく過程で、重要な礎を築いたのである。あの独特の世界観は、今でも色あせていない。
GAMEXスコア
| キャラクタ | 音楽 | 操作性 | ハマり度 | オリジナル度 | 総合 |
|---|---|---|---|---|---|
| 92/100 | 78/100 | 72/100 | 85/100 | 94/100 | 84/100 |
妖怪のデザインと世界観は突出していた。キャラクタ92点、オリジナル度94点という高評価が物語るのは、和風の怪異をコミカルに昇華したナムコのセンスだ。一方で操作性72点は、独特の跳ね返りや滑るような動きに戸惑うプレイヤーが少なくなかった証だろう。だが、その少しもたつく操作感さえも、おどけたお化けたちの旅路に奇妙な愛嬌を添えていた。総合84点は、不完全さすら個性に変えてしまう、あのほの暗くて可笑しい空気感を的確に捉えている。
あの頃、妖怪たちを笑い飛ばした軽やかな足取りは、ゲームが「怖いもの」と対峙する一つの形を提示していた。今やホラーとコメディの融合は珍しくないが、その先駆けとして、我々は道中の楽しさをすでに知っていたのだ。
