『火の鳥 鳳凰編 我王の冒険』鬼瓦を撃ち、自ら道を切り拓く孤独な彫師の旅

タイトル 火の鳥 鳳凰編 我王の冒険
発売日 1987年1月4日
発売元 コナミ
当時の定価 5,300円
ジャンル アクション

そういえば、あのゲーム、パッケージに描かれたキャラクターがぜんぜん出てこなかったんだよな。『火の鳥』の名を冠していながら、映画や漫画のストーリーとはほとんど無縁。それなのに、なぜか我王だけが一人、横スクロールの世界をノミを撃ちながら進んでいく。コナミが1987年の年明け一番に放り込んできた、この不思議なゲーム体験を覚えているだろうか。

鬼瓦が生み出す、彫刻師としてのプレイヤー

そう、あの鬼瓦だ。我王が放つノミで敵を倒すと、ポンと現れるあの瓦。これを空中に設置して足場を作り、あるいは壁として敵の進路を塞ぐ。この一風変わったシステムこそが、このゲームの全てを物語っている。当時の横スクロールアクションは、与えられたステージを駆け抜けることが主流だった。しかし『我王の冒険』は違った。プレイヤー自身が、その場その場で足場を作り、時には破壊しながら進んでいく。これは単なるアクションではなく、ステージそのものを「彫刻」していくような体験だったのだ。

この鬼瓦システムが生まれた背景には、原作『火の鳥』のテーマが深く関わっている。我王は腕利きの彫刻師でありながら、その粗暴な性格ゆえに社会から爪弾きにされる。彼の冒険は、己の内なる鬼と向き合い、魂を彫琢していく旅でもある。ゲームの目的が「火の鳥の彫刻を完成させること」であるように、プレイヤーは鬼瓦という「素材」を駆使してステージという「原石」を切り拓き、自らの進路を彫り上げていく。アクションゲームの枠組みに、原作の核心を見事に落とし込んだのである。

しかし、この挑戦は当時の技術的制約との戦いでもあった。ファミコンのメモリ容量は限られており、自由に設置・破壊できるオブジェクトを多数管理することは容易ではない。開発チームは、敵を倒すと鬼瓦が出現するというシンプルなルールに収束させた。これにより、鬼瓦の「生産」と「消費」の循環が生まれ、資源管理という新たな戦略性が加わった。鬼瓦が尽きれば進めなくなるという緊張感は、弾薬制のシューティングゲームにも通じるものがある。

さらに特筆すべきは、このゲームが「1987年最初のファミコンソフト」として市場に登場した点だ。お正月の箱入りソフトとして、子供たちの手に渡った。派手なグラフィックやキャラクター性よりも、思索的な原作の世界観と、地味ながらも深いゲーム性を前面に押し出した選択は、当時のライセンスゲームの潮流とは一線を画していた。パッケージに描かれた茜丸や速魚がゲーム内に登場しないことも、ある種の潔ささえ感じさせる。これは単なるアニメの付属品ではなく、『火の鳥』というテーマをゲームという媒体で独自に解釈した、ひとつの「冒険」の成果だったのだ。

しゃがみ込む一瞬に宿る、戦略のすべて

そう、あの鬼瓦だ。コントローラーのBボタンを押し続けて、我王がしゃがみ込む動作。あの一瞬の間が、このゲームの全てを決めていた。ノミを撃つことも、ジャンプすることもできない、無防備な状態。その代わりに、空中に「足場」を生み出せる。この一見不自由な制約こそが、『我王の冒険』というゲームの創造性の源泉だった。

プレイヤーは常に二つの選択を迫られる。敵をノミで倒して鬼瓦を増やすか、その敵を避けて貴重なストックを温存するか。目の前の絶壁は、手持ちの鬼瓦を全てはたいて登るべきか、別の迂回路を探すべきか。鬼瓦は武器であり、鍵であり、命綱である。この万能でありながら有限なリソース管理が、単純な横スクロールアクションに深い戦略性をもたらした。当時の我々は、画面上の我王と一心同体になり、残り鬼瓦の数を睨みながら、次の一手を考え続けた。それがこのゲームの、他にはない面白さだった。限られた資源で無限の可能性を切り開く、あの手探りの感覚は、まさに彫刻師我王そのものの体験であった。

オプションからマインクラフトへ、足場生成の系譜

そういえば、あの鬼瓦を空中に設置できる仕組みに、最初は戸惑ったものだ。足場を自ら作り出し、時には敵の進路を塞ぐ。ただのアクションゲームの枠を超えた、一種の「構築」の要素がそこにはあった。

この『火の鳥 鳳凰編 我王の冒険』が持つ「足場生成」というシステムは、後のゲームデザインに確かな影響を残している。直接の系譜と言えるのが、同じコナミから発売された『グラディウス』シリーズにおける「オプション」の挙動だろう。自機に追随するだけでなく、特定の位置に固定して盾や攻撃の起点とするという発想は、空中に固定される鬼瓦の概念と地続きである。さらに時代を下れば、ステージ内にブロックを設置して道を作るパズルゲームや、『マインクラフト』のようなサンドボックスゲームの根源的な楽しみ――すなわち「環境を改変する」というインタラクションの先駆けの一つだったと言える。

現代の目で見れば、操作性や難易度の面で厳しい部分は否めない。しかし、アクションというジャンルに「創造」の要素を組み込んだその挑戦は、単なる映画のゲーム化を超えた、極めて独創的な実験作だったのだ。当時は気づかなかったその先見性こそ、この作品を語る上で欠かせないポイントだろう。

GAMEXスコア

キャラクタ 音楽 操作性 ハマり度 オリジナル度 総合
72/100 85/100 68/100 70/100 88/100 77/100

そう、あの独特な世界観に引き込まれながらも、何とも言えない操作感に足を取られた記憶がある。キャラクタ72点、操作性68点という数字は、まさにその体験を表している。手塚治虫の画風を忠実に再現した我王や背景は確かに魅力的だが、キャラクターの動きにはどこかもっさりとした重さがあった。一方で音楽85点、オリジナル度88点の高評価は納得だ。荘厳でありながらも不気味なBGMは世界観を深め、神話を題材にしたこの冒険は、当時のゲームシーンにおいて確かに異彩を放っていた。総合77点は、芸術性と遊びの間で揺れた、ある種の覚書のような採点だ。

我王の苦難の旅路は、単なる難易度の高さを超えた何かを我々に刻みつけた。あの苛烈なゲームデザインは、娯楽とはまた別の、どこか哲学的な問いを内包していたのだ。現代の「魂ライク」と呼ばれるジャンルが追い求める、死と再生を経て成長する体験の原形は、すでにこの8ビットの世界に息づいていたと言えるだろう。