| タイトル | たけしの戦国風雲児 |
|---|---|
| 発売日 | 1988年4月28日 |
| 発売元 | タイトー |
| 当時の定価 | 5,800円 |
| ジャンル | RPG |
そういえば、あのゲーム、名前を入れると最後に必ず「丸」が付いたよな。たとえ「たけし」と入れても、なぜか「たけし丸」になってしまう。あの妙なこだわりが、いかにも『たけしの戦国風雲児』らしい入り口だった。前作『たけしの挑戦状』の悪名高き不条理とは一線を画し、今度は戦国すごろくとパーティゲームという、一見するとごく普通の顔をしていた。しかし、盤上を進むと突然現れるたけし様のアドバイス(あるいは邪魔)が、このゲームの真骨頂だ。友達と国盗り合戦に興じながら、次に彼が何をしでかすか、ハラハラさせられたあの時間を覚えているだろうか。
挑戦状の衝撃の後、タレントゲームはこう変わった
そうそう、あの『たけしの挑戦状』の衝撃の後だ。あの「カラオケで歌え」「酒を飲め」という前代未聞の不条理ゲームが市場を騒がせてから、まだ一年も経っていない1988年の末に、今度は『戦国風雲児』が登場した。多くのプレイヤーは「またあのビートたけしか」と、警戒と好奇の目を向けたに違いない。しかし、この『戦国風雲児』は、前作とは全く異なる顔を持っていた。それは、ゲーム業界が「タレントゲーム」というジャンルに、ようやく一つの答えを見出そうとしていた瞬間だった。
前作『挑戦状』が、たけし個人の破壊的なアイデアをほぼそのままゲームに落とし込んだ、一種の「実験作品」であったとすれば、『戦国風雲児』は「タレントのイメージを、既存のゲームジャンルにどう落とし込むか」という、業界としての本格的な挑戦の産物だった。開発には、『挑戦状』でたけしと直接やり取りをしたスタッフではなく、より多くのゲーム開発のノウハウを持つ別チームが当たったと言われる。その結果、ゲームの核は、当時人気を博していたすごろく型ボードゲームや国盗りシミュレーションという、誰にでも理解できる確立された形式に収められた。たけしのキャラクターは、そのシステムの中に「アドバイスや邪魔をする神出鬼没のナビゲーター」として巧みに組み込まれたのだ。これは、タレントの個性を全面に押し出すのではなく、ゲームとしての面白さを第一に考え、その上でタレントの魅力を「スパイス」として加えるという、現在まで続くタレントゲームの一つの原型を作り上げた。『挑戦状』が放った一発の砲弾だとすれば、『戦国風雲児』は、その爆風で耕された土壌に、業界が初めてまいた「商売になる種」だったと言えるだろう。
顔を洗って出直し、戦国サバイバルの二重構造
そういえば、あのゲームには「顔を洗って出直し」なんて罰ゲームがあったな。たけし様にゴルフで負けると、いきなり地図の端っこに飛ばされてしまう。コントローラーを握りしめ、サイコロのルーレットが止まる瞬間を祈ったあの感覚は、単なるすごろく以上の何かを感じさせた。
このゲームの面白さの核心は、一見すると緩くてふざけた外見の裏に、驚くほど硬質な「戦国サバイバルゲーム」の骨格が隠れている点だ。プレイヤーは浪人としてスタートし、紹介状を求めて九州まで行き、就職活動ならぬ「仕官活動」に明け暮れる。金で懐柔するか、剣の腕を磨くか、はたまた芸で笑いを取るか。選択肢はあるが、どれも確実ではない。殿様の機嫌という不確定要素が常につきまとう。この「不条理に見えるが、実は厳格な確率とリソース管理が要求される」という二重構造が、当時の我々を熱中させた。手持ちの金が尽き、侍ポイントも低く、どの城にも相手にされない絶望。その中で御前試合に全てを賭けるか、それとも地道に稼いで再起を図るか。限られたリソースと、時に理不尽なルールの中で最適解を探る過程そのものが、このゲームの真の醍醐味だったのだ。
その創造性は、まさに「制約」から生まれている。ファミコンの性能では、広大な日本地図を全てアクションステージにするのは不可能だ。そこで開発者は、移動と遭遇をボードゲーム形式に集約し、その一つ一つのマスでのイベント(道場、賭場、城訪問)に濃密な選択肢と結果を詰め込んだ。地図は抽象化され、プレイヤーの想像力で補完される。コマが「おおえどびーとぽっぷ」と進むたびに流れるあのテーマ曲が、それぞれのプレイヤーの個性と戦いの軌跡を、音楽で鮮明に記憶に刻み込んでいく。あのゲームは、技術的制約を逆手に取り、プレイヤーの「戦国武将になりきる」という没入感を、ボードとカードとサイコロという古典的な遊びの力で見事に構築した先駆的な作品だったと言えるだろう。
一つのコントローラーで生まれた、桃鉄以前のマルチプレイ
さて、あの『たけしの挑戦状』のあまりの不条理さに、親に「こんなゲーム買うんじゃなかった!」と怒鳴られた記憶があるなら、その続編とも言えるこの作品には、むしろ驚きを覚えたに違いない。『たけしの戦国風雲児』だ。前作の毒気は抜け、むしろ「みんなでわいわい遊べるゲーム」として生まれ変わっていた。しかし、このゲームが後に与えた影響は、挑戦状のそれとは全く異なる、もっと地味で、しかし確かなものだった。
その最大の功績は、一つのコントローラーで最大4人までプレイ可能な「擬似マルチプレイ」システムを、ファミコンというハードで見事に実現してみせたことだろう。追加の周辺機器は一切不要。コントローラーIとIIを橋渡しするだけで、3人目、4人目のプレイヤーが生まれる。この発想は、後に続く多くのパーティーゲーム、特に『桃太郎電鉄』シリーズの基本構造に明らかに引き継がれている。すごろく形式の国盗り合戦に、サイコロ、アイテム、そして時にはプレイヤー同士の直接対決「決闘」が加わる。これはまさに、ボードゲーム的要素とビデオゲーム的要素を融合させた、日本独自の「すごろくRPG」の先駆けと言える。
さらに、ゲーム内に複数の「人生シミュレーション」的モードを内包させた点も特筆すべきだ。「仕官ゲーム」は就職活動そのもの。「大名ゲーム」では、忠誠を尽くして出世するか、下剋上を起こすかという選択肢が与えられる。一つのソフトの中で、純粋なすごろくから、RPG的成長、さらにはシミュレーション的選択までを体験できるこの多層構造は、後の時代の「自由度の高いゲーム」という概念に、確実に一石を投じていた。『戦国風雲児』は、挑戦状のような伝説にはならなかったかもしれない。だが、そのシステムの骨格は、我々が知らず知らずのうちに楽しんでいる、あの「みんなで遊べるゲーム」のDNAとして、確かに息づいているのである。
GAMEXスコア
| キャラクタ | 音楽 | 操作性 | ハマり度 | オリジナル度 | 総合 |
|---|---|---|---|---|---|
| 78/100 | 72/100 | 65/100 | 85/100 | 92/100 | 78/100 |
そういえば、あのゲーム、キャラが面白かったよな。ビートたけしが戦国武将に扮している時点で、もうオリジナリティは破格だ。92点という高評価は当然と言えるだろう。しかし、操作性の65点が全てを物語っている。確かに、あの独特の重たい操作性は、最初はもどかしかった。だが、そこを乗り越えた先にある「ハマり度85点」の世界があった。変則的な操作体系に慣れ、たけし節全開の台詞とキャラクターたちに囲まれていると、いつの間にかこの戦国絵巻に引き込まれていた。高いオリジナリティとハマり度が、操作性の壁を軽々と飛び越えさせてくれる、そんな稀有なゲームだったのだ。
あの苛烈な難易度は、単なるゲームの壁を超えていた。プレイヤーに「戦国」という時代の非情さを、コントローラー越しに骨の髄まで叩き込む装置だったのだ。今、ログライクと呼ばれるゲームたちが挑戦者に突きつける理不尽さの源流には、あの戦国サバイバルが確かに流れている。
