『霊幻道士』跳ねるキョンシーと黄色い符、8ビットのカオスカンフー

タイトル 霊幻道士
発売日 1988年10月21日
発売元 ポニー
当時の定価 5,800円
ジャンル アクション

あの頃、友達の家で見たビデオテープの映像が、あまりにも衝撃的だった。黄色い符がピンと伸び、ぴょんぴょん跳ねるあの“あれ”だ。香港映画『霊幻道士』は、キョンシーという存在を、恐怖と笑いの入り混じったカオスとして我々に叩き込んだ。そして当然のように、それはファミコンというフィールドにも舞い降りることになる。

映画館の笑い声がファミコンに届くまで

そう、あの映画館の暗闇で、跳ねるキョンシーに思わず笑い声を漏らした記憶は、きっと共有しているはずだ。香港映画『霊幻道士』が日本で公開されたのは1986年。当時のゲーム業界は、まさに「映画のゲーム化」が一つのトレンドだった。しかし、この作品のゲーム化には、単なる流行追従以上の、ある挑戦が込められていた。それは、コメディタッチのカンフーアクションと、独特の「キョンシー」という存在を、8ビットのドット絵とBGMでどう表現するかという難題である。開発陣は、映画の持つコミカルな動きを再現するために、敵キャラの動きにわざとぎこちなさを加え、それが逆に「跳ねる」ような不気味さと笑いを生む仕掛けを作り出した。当時、ホラー要素とコメディを融合させたゲームは極めて稀で、この試みは後の「変わり種アクション」の先駆けともなったのだ。一見するとB級映画のゲーム化に過ぎないが、その背景には、新たな表現をファミコンという媒体に落とし込もうとする、開発者たちの熱い挑戦が息づいていたのである。

護符を「貼る」という究極の抽象化

そういえば、あの映画のゲームがあったな。ファミコンで『霊幻道士』を遊んだとき、まず驚いたのはコントローラーの十字キーを押すたびに、画面の道士が「えいっ!」と叫びながら、画面上に護符を貼り付ける動作を繰り返すことだった。あの独特のリズム感、これがこのゲームの全てだったと言っても過言ではない。なぜ面白いのか。それは「護符を貼る」という単純な動作に、全てのゲーム性が凝縮されていたからだ。画面上を跳ね回るキョンシーを、タイミングよく護符で止める。ただそれだけのことが、なぜか病みつきになる緊張感を生み出していた。制約こそが創造性を生んだ典型例である。派手なカンフーアクションや複雑な呪文を再現する技術も予算もなかっただろう。だからこそ開発者は、映画の核心である「道士 vs キョンシー」の構図を、この「貼る」という一動作にまで抽象化し、昇華させた。プレイヤーは道士になりきり、護符の在庫と自らの反射神経だけを頼りに、次々と襲い来る化け物たちを退治していく。あのシンプルな画面と効果音が、逆に映画の世界観を強烈に印象づけ、我々の記憶に刻み込まれたのだ。

キョンシーの息が生んだ「状態異常」の系譜

あの、キョンシーが跳ねるように動く不気味なリズムと、道士が空中に描く護符の閃光。『霊幻道士』がファミコンに移植されることはなかったが、その世界観とアクションは、ゲームという新たな媒体に取り込まれ、思わぬ形で進化していった。特に、後のアクションゲームにおける「ステータス異常」と「属性攻撃」の組み合わせに、この映画の影響を見て取ることができる。

例えば、カプコンの『魔界村』シリーズに登場する鎧を剥がされるシステムは、キョンシーに襲われて道士の服が破れる緊迫感に通じる。さらに言えば、敵に触れると主人公が一時的に無力化される「気絶」や「石化」といった状態異常は、キョンシーに息を吹きかけられて動きが止まる、あの独特の拘束状態をゲームメカニクスに昇華したものだと言えよう。護符を貼り付けて動きを止め、桃の木の剣で止めを刺すという一連の流れは、弱点属性を見極め、特定のアイテムや攻撃で与える大ダメージという、後のRPGやアクションゲームにおける定番の戦闘フォーマットの先駆けであった。

この映画がなければ、『悪魔城ドラキュラ』シリーズにおける聖水やクロスといった副武器の概念も、あるいは『ファイナルファンタジー』におけるアンデッド系モンスターへの「レイズ」効果の戦略的価値も、これほどまでに説得力を持たなかったかもしれない。東洋のホラーとコメディが融合した『霊幻道士』のエッセンスは、ゲームデザインの層を静かに、しかし確実に豊かにしたのである。

GAMEXスコア

キャラクタ 音楽 操作性 ハマり度 オリジナル度 総合
85/100 78/100 65/100 72/100 90/100 78/100

そういえば、あのゲーム、キャラクターは格好良かったよな。あの道士の服や、跳び蹴りを食らって吹っ飛ぶ敵の姿は、確かに映画の雰囲気をよく捉えていた。だからこそ、操作性の低さが目立った。動きがもっさりしていて、攻撃が当たりにくい。あの独特の「硬さ」が、熱心なファンとそうでないプレイヤーを分けたのだろう。しかし、あの世界観とアイデアは紛れもなく独創的だった。他の何とも違う、あの異色の臭いが、この点数に表れているというわけだ。

あの頃、映画館のスクリーンで躍動した霊幻道士たちは、ファミコンのカセットの中にも確かに息づいていた。ゲームと映画という異なる媒体が交差した瞬間は、後のメディアミックスという潮流を先取りしていたと言えるだろう。今、香港映画の熱気を懐かしむ時、私たちは同時に十字キーで繰り出したあの秘技の手触りも思い出すに違いない。