『探偵 神宮寺三郎 時の過ぎゆくままに…』犬が吠える声が暗号になる、セピア色の記憶を巡る捜査

タイトル 探偵 神宮寺三郎 時の過ぎゆくままに…
発売日 1990年4月27日
発売元 データイースト
当時の定価 7,800円
ジャンル アドベンチャー

そういえば、あのゲーム、犬がパスワードを教えてくれたよな。『時の過ぎゆくままに…』を遊んでいたあの頃、ファミコンの前で必死にメモった4文字の暗号。あれは、画面に現れる一匹の雑種犬、ズタが吠える声を数字に置き換えたものだった。探偵ものなのに、なぜか犬が最大のヒントを握っている。そんな捻りが、子供心に「大人のゲーム」らしい深みを感じさせた。セピア色に染まる過去の記憶と、カラーで描かれる現在の捜査。その切り替わりが、単なるアドベンチャーを、どこか切ない人間ドラマに変えていた。

セピア色が語る、ファミコンという映画館

そう、あのセピア色の画面だ。過去を回想するシーンが突然モノクロームの世界に変わる演出は、当時のファミコンでは異色だった。なぜデータイーストは、ハードの限界を承知で、あえて「色」で時間を表現しようとしたのか。その背景には、単なるアドベンチャーゲームではない、一種の「映像作品」を作りたいという開発陣の強い意志があった。当時は『ポートピア連続殺人事件』に代表される、文字と選択肢が中心の「電子小説」が全盛期。そんな中で、画面の視覚的変化で感情や時間の流れを直接伝えようとした本作の挑戦は、後のビジュアルノベルというジャンルの萌芽を感じさせるものだった。脚本の野島一成、原画の寺田克也という布陣も、ゲームというより「作り手の表現する物語」を重視していた証左だろう。容量制限と戦いながら、セピアとカラーの切り替えという演出を実現した技術面の苦闘も、当時を知る者には感慨深い。

過去と現在を切り替える探偵の右手

そういえば、あのセピア色の画面が妙に記憶に焼き付いている。過去の回想シーンに入ると、突然画面全体が茶褐色に染まる。今でこそ演出の常套手段だが、当時のファミコンでこれを見た時は、まるで古い映画のフィルムを覗き込んでいるような、不思議な没入感があったものだ。この『時の過ぎゆくままに…』の面白さは、まさにこの「時間」そのものを操作する感覚にある。プレイヤーは神宮寺三郎となり、現在と一年前の過去を行き来しながら、断片的な記憶を繋ぎ合わせて真実に迫る。コントローラーで「過去」と「現在」を切り替えるたび、画面の色調が変わる。その瞬間、僕らは単なる指令入力者から、時間を遡る探偵そのものになった気がしたのだ。

その創造性は、厳しい制約から生まれている。当時のロムカセット容量は限られており、フルボイスや膨大なムービーなど望むべくもない。ならばと開発陣が選んだのは、「語り」と「画面の色」という最小限の要素で時間の流れを表現する手法だった。セピアは過去、カラーは現在。この単純明快なルールが、プレイヤーの想像力を強烈に刺激した。カセットの物理的な制約が、逆に洗練された文学的な表現を生み出したのだ。情報が全て視覚的に与えられる現代のゲームとは異なり、あの時代のプレイヤーは、セピア色の背景と簡潔なテキストから、独自に過去の空気や匂いさえもイメージで補完していた。容量という制約が、プレイヤーを共作者へと昇華させた稀有な例と言えるだろう。

ズタという名の犬が残した相棒の系譜

そういえば、あの犬の名前はズタだったな。神宮寺に冷たい元警察犬が、物語の鍵を握る存在だった。この『時の過ぎゆくままに…』がなければ、後のゲームにおける「相棒」の概念は、もっと薄いものになっていたかもしれない。本作が示したのは、主人公と犬という非言語のパートナーとの関係性が、物語の深みとプレイヤーの感情移入を大きく増幅させるという手法だ。これは、『大神』における天照と一寸法師の関係や、数多くのRPGで採用される「動物型パートナー」の先駆けと言える。さらに、過去(セピア)と現在(カラー)を視覚的に切り分ける演出は、時系列が複雑に絡むアドベンチャーゲームや、記憶をテーマにした作品に確実に引き継がれた。単なるコマンド選択式の探偵ゲームを超えて、情感と演出でプレイヤーを包み込むスタイルは、ここから始まったのだ。

GAMEXスコア

キャラクタ 音楽 操作性 ハマり度 オリジナル度 総合
92/100 78/100 72/100 85/100 90/100 83/100

そういえば、あの渋いジャケットの探偵ゲームがあったな。煙草の煙が立ち込める事務所で、事件の糸口を探し回ったあの時間を。

キャラクターが92点という高評価は当然だ。神宮寺三郎という、ダンディでどこか影のある主人公の存在感が、画面からにじみ出ていた。街を歩き、人と話し、時に拳を交える。その全てが彼の「キャラ」を形作っていたからだ。音楽の78点、操作性の72点という数字は、このゲームのもう一つの顔を物語っている。つまり、これは「遊びやすいゲーム」ではなかった。重厚で時に陰鬱なBGMが流れ、探索も会話もじっくりと腰を据えて進める必要があった。操作性の低さは、むしろそのリアルな「手応え」の裏返しだったと言えるだろう。

ハマり度85点、オリジナル度90点。この二つが示すのは、この作品が単なる事件解決シミュレーションを超えていたことだ。当時のゲームシーンに、大人の影と匂いを持ち込んだ先駆性。プレイヤーは探偵ではなく、神宮寺三郎そのものになることを求められた。だからこそ、総合83点という数字は、ある種の「覚悟」の評価だったに違いない。気軽に楽しめるものではないが、一度その世界に足を踏み入れれば、そこには他にない深みが待っていた。

あの重厚な物語と向き合った時間は、単なる「クリア」を超えた体験だった。今や「ノベルゲーム」と呼ばれるジャンルの礎には、間違いなく神宮寺三郎の、あの煙草の煙と共に漂う諦観と人情が染み込んでいる。プレイヤーを「読者」にした先駆けが、ここにあったのだ。